ゼロってナニ!? ゼロを拒んだ古代の偉人たち

要点チェック!
  • 数字の「0」はインドではじめ使われ、アラビア数字の形でヨーロッパに導入されました。
  • 古代のヨーロッパ人は、「数」は「形」を表していると考えていたので、「0」の発見が遅れました。
  • 0の扱いには注意しないと矛盾が出てきてしまいます。

インド人が数学が得意な話の例として、数字の「0」はインド人が発明したってよく聞くじゃないですか。

そうだね。

学校の世界史で知りましたが、インドが影響力を持つ国になったのって、最近なんですよね?

ということは数字の0は最近までなかったんでしょうか。

いやそういうわけでもない。

数字のゼロは9世紀の頃には使われていたよ。別の形としてならもっと昔からあった。

別の形・・?

ゆう、前に「位取り記数法」の話をしたのを覚えてるかい?

はい!覚えています。

数字の表し方、書き方の話でした。

そうだ。

ゼロがなかったら、10とか、101とか、2016とかにある「0」って書けないから、これらの数字を表すことができない。

じゃあ昔はこういった、「0」を含む数字が存在しなかったのかというと、そういうわけでもない。

位取り記数法の中で、「0」は「空位」を表すものとして使われた。ここの位にはなにも存在しないということを表すために。

それなら、9世紀よりもっと昔からゼロは使われてたんじゃないですか?

いや、この「空位」を表すシンボルとして使われていただけで、今みたいに「数」としてのゼロは存在していなかったんだ。

数としてのゼロ・・・?

ほら、方程式を解くときに、必ずゼロって出てくるじゃないか。

2次方程式とかだと絶対に「0」が顔を出す。

そして、ab=0ならa=0またはb=0という規則を使って方程式の解を求める。

「0」は方程式を解く上で欠かせない存在だ。

しかし、こういった数としての「0」はなかなかヨーロッパでは認められなかった。

それが不思議ですね。存在自体はあったのに。

結果として、インドのほうが数としての「0」の使用が進み、ヨーロッパはそれを取り入れる形になった。

なぜこういう結果になったのか。それには、ヨーロッパに根付くギリシャ哲学と、インドで信仰されていたヒンドゥー教の考え方の違いがあるんだ。

数字の話しているのに哲学の話になるなんて・・

なんだか壮大になってきたぞ。

ぽんさん、知りたいです。教えてください!

よし、じゃあちょっと古代ギリシャの話をしよう。

その前に、ここまでの話をまとめておこう。


数字の「0」の2つの使い方

(1)位取り記数法の「空位」を表す「0」
その位に数字が何も入らないことを表す。紀元前より存在。
例.10,101,2016

(2)数字としての「0」
方程式などに出てくる普通の0。実際に使われ始めるのは9世紀ぐらいから。
例.2\times0=0,x+2=0


ゼロはどんな「形」をしている?

エジプトでの数学や算数は、はじめは日数を記録したり、土地を維持するための道具として誕生した。

さらに、エジプトの場合は、ナイル川が洪水にあうたびに、土地の境界が分からなくなるということがよくあった。

なのでエジプトでは図形の数学、「幾何学」と呼ばれるものが発達した。

三平方の定理とか、正弦定理とかの話ですね。

そうだね。

あの時代では数学は図形といっしょに発達してきた。図形なしの数学なんて考えられなかった。

なので、1や2という数も、「長さ」であったり「面積」を表す数として理解された。

「数」と「形」がセットでくっついていたわけですね。

そうそう。

ゆう、じゃあ図形的には「0」ってどんな意味があると思う?

・・・。

「0」は「何もない」ですから、長さも面積もありません。

そう、「0」という数は図形の世界には登場しない。意味をもたない。

なので、図形に限れば「0」はまったく必要なかったんだ。

このような、数と形をセットで考える考え方は、当時勢いのあったギリシャにも広がっていく。

ゆうは、「アリストテレス」という人を知っているかな?

あー・・世界史で聞いたような・・「てつがく」の人でしたっけ?

そう。アリストテレスはギリシャに、そしてヨーロッパ社会にすさまじい影響を残していった古代の大哲学者だ。

高校の「倫理」なら彼の哲学は学ぶ機会があるね。

で、数学の話にそのアリストテレスがどう関係するんですか?

アリストテレスは「空虚」や「無限」を嫌っていた。

彼は、この世界には神が存在していると考えていた。

なぜなら、宇宙は丸っこいボールみたいに限りのあるもので、その外側の惑星を動かしているものが存在するはず。

その運動の究極の原因、それこそが神である。

これがアリストテレスの「神の存在証明」だ。

へ、へえ・・・。

こういう理由で神が存在すると考えていたんだから、「無限」とか、無限に関係する「空虚」というものはアリストテレスは大嫌いだった。

ひょっとして、「空虚」ってゼロのことですか?

そうだ。ゼロとは「何もない」ことを表す。数字の「0」は「空虚」が嫌いなアリストテレスの哲学には相性が悪い。

アリストテレスは時の権力者アレクサンドロス大王の学問の師匠であり、結果として彼の教えはヨーロッパ全土に根付いていくことになる、

ゼロを嫌う文化ができたわけですね。

そうなるね。

しかし、アリストテレスの影響を受けず、むしろ「空虚」や「無」に親しむ文化をもっていた地域があった。

それがインドなんですね!

そうなんだよ。

難しいことは省略するが、インドに根付いていたヒンドゥー教では、「空虚」や「無」を嫌う文化はなかった。それらを受け入れていったんだ。

また、エジプトやギリシャと違って、インドでは図形の数学もそれほど発展せず、「数」が「形」に縛られる必要はなかった。

ゼロにどんな意味があるかなんて考えなくて良かったんですね!

そうそう。だから、自由自在に数を使いこなし、インド人の計算力はとても優秀だった。

そしてインド人は「0」を使いこなしていた。

インド人は昔から計算が得意だったんですね!

そんなインドの計算技術をすばやく吸収した人たちがいる。

イスラムの人たちだ。

イスラムはインドを攻略し、インドの計算技術を採用した。

そういうわけで「0」が幅広く使われ始めたんだ。俺たちが使っている「アラビア数字」としてね。

まるで世界史の授業を聞いているみたいだ・・。

そうそう、もちろんイスラムにもアリストテレスの教えの影響はあったから、「0」を使うことには若干抵抗があったみたいだよ。

ただ、イスラムもインドみたいに「空虚」や「無」を受け入れる文化があったから、アリストテレスの教えを断ち切って「0」を使うことができたみたい。

キリスト教が広まっていたヨーロッパの人たちはアリストテレスの影響から、数百年以上「0」を受け入れることができなかった。

「0」を認め、使うことは「神様なんていない!」と宣言しているようなことになるんですよね・・。そうなると難しいのかなあ。

そんなところだろうね。そういうわけで、キリスト教圏は「0」が使えず、イスラム教圏は「0」を使っていた状況がしばらく続いたわけだ。

まとめとこう。


西洋と東洋の「0」への考え方

(1)「0」を嫌う西洋(キリスト教社会)
「空虚」すなわち「0」を嫌うアリストテレスの影響を受け、「0」を認めない。
「0」を認めることは、「神様なんていないよ」と言うことと同じくらいの罪。

(2)「0」を受け入れた東洋(イスラム教社会)
「空虚」を受け入れ、「0」を取り入れる。
また、図形にとらわれない数学や、分数を小数に直して計算しやすくするなど計算技術を高めた。


ゼロの意識革命

もちろん、ヨーロッパがいつまでも「0」を使わなかったわけじゃない。

1202年、フィボナッチという人が『算盤の書』という本を出版した。

フィボナッチ・・?

フィボナッチって、あの「フィボナッチ数列」のフィボナッチですか?

そのフィボナッチだ。フィボナッチ数列以外にも、彼は偉大な功績を残している。

フィボナッチはイスラム教徒からアラビア数字を学んでいて、『算盤の書』でアラビア数字を紹介した。

アラビア数字はなにしろ計算が便利なんだ。商業が盛んになってきていたヨーロッパではこれが大ヒットした。

フィボナッチ数列だけの人じゃなかったんですね!

実はそうだったんだね。

この大ヒットにより、アラビア数字、そして「0」がヨーロッパに広まり始めたわけだ。

アリストテレスの教えを守ってきた人たちにとっては困ったことですね。

その便利さからゼロや無限が受け入れられていったのは、アリストテレスの教えを守ってきたキリスト教の教会にとっては面白くなかっただろうね。

とはいえ、商業にとって便利だったのだから、止めさせることはなかなかできない。

後にタンピエという人が、神はアリストテレスの法則に縛られないと宣言した。

まあ、いつまでアリストテレスにしがみついてるんだって話ですよね。

この宣言をきっかけに、宇宙は有限だという考えが崩れ始め、後年コペルニクスによる地動説の発見など科学のめざましい発展が始まるんだ。

地動説!学校で昔習った天体の話ですね。

このあたりの発見はとくに有名だからね。

こういった教会の権威を揺るがす考えを見過ごすことができず、教会は弾圧に乗り出した。

そのあたりの話がいわゆる「宗教革命」の話なんだ。

数学でおなじみの「直交座標」を考えたデカルトという人が、アリストテレスの神の存在証明に代わるものを提案したんだけど、まあそれはまた別の話。

とりあえずヨーロッパにゼロがどのように浸透していったか分かってもらえたかな。

ぽんさんは歴史にも詳しかったんですね!ありがとうございます!

このあたりを詳しく書いている本をまた紹介しておくから、まあ興味があったら探してみておいてくれ。


1=2?

あとおまけに、「0」を使った面白い証明を教えよう。

面白い証明?なんですか?

数学の一部の世界ではジョークとして楽しまれている、「1=2」の証明だ。

1と2が等しい??謎の証明ですねそれは・・。

次の証明になる。


1=2の証明(他にもいろいろあります)

a=b=1とする。
a=bの両辺にaをかけて
a^2=ab
両辺からb^2を引いて
a^2-b^2=ab-b^2
両辺因数分解すると
(a+b)(a-b)=b(a-b)
両辺a-bで割ると
a+b=b
式を整理すると
a=0
a=1だったので
1=0
両辺に1を加えれば 1=2

えぇーー!?

というわけで1と2は等しい。どうだ?

いや、えっと・・うーん・・。

ゆうが感じている通り、この証明はおかしい。

どこかで間違えているんですよね・・。

そういうことになる。どこが間違えているか、間違い探しだ!

わかりました。やってみます。


3分後・・

ぽんさん分かりました!

両辺をa-bで割っているからですか?

a=b=1なので、a-b=0です。

なので、a-bで割ることは0で割り算することになる。

「0で割ってはいけない」と学校の先生は言っていた気がします。これでどうですか?

その通り!

ゆうの言うとおりで、「0で割る」ことをしてしまったために、おかしな結果になってしまう。

「0で割る」という行為を数学は「定義しない」からやってはダメなんだが、もし「0で割る」ことを許すと1=2みたいな変な結果が出てきてしまうわけなんだな。

「0で割ってはいけない」という言葉にはそういう意味があったんですね!

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もっと楽しい数学のお話あります!